いわれいい伝え
御由緒
古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記す最古の神社。国生み・神生み始まる御神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神の天照皇大御神に国家統治の権限を委ね、淡路の多賀の地に「幽宮」を構へて余生を過ごされた神宅の旧跡に鎮座する。
この地で終焉を迎へられた伊弉諾大神を、その宮居の跡地に神陵が築かれて、お祭りされたといふ神歴を創祀の起源とする。
幕末までは禁足地の神陵の前方に本殿があったが、明治初年の官費による造営事業で神陵地を整備し、墳丘上に本殿が移築された。
わが国最古の歴史書「古事記」や国史「日本書紀」は天地開闢の説話から始まる。「天地はじめて發けしとき」に、高天地に造化三神が現はれ、続く神世七代で現れた伊弉諾尊(男神)と伊弉冉尊(女神)に、「この漂へる国を修理固成よ」と命ぜられた。
二柱神は天浮柱に立ち、天沼矛で大海原をかき回し、矛の先から滴り落ちた雫が「淤能碁呂島」となる。
この島に降り立った二神は、夫婦の契りを結び、国生みの儀式を行ひ、最初に誕生したのが淡路島(淡道之穂之狭別島)で、続いて四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州と生まれ、「大八洲」といふ古代日本の国土が出来上がった。