手水舎
自然石の花崗岩に「漱盥」と大きく刻字された手水鉢がある。
豊臣秀吉公が大阪城築城にあたり瀬戸内から大量の石材を調達
した。
運搬時に誤って郡家浦沖に水没したものを、氏子が引き揚げ手
水鉢として奉納した。「嘉永三年(一八五〇)…氏中」と刻ま
れ、回船で繁栄した往時の西浦(播磨灘側)を偲ばせる遺構 で
ある。
『国生みの島・淡路』日本遺産認定
自然石の花崗岩に「漱盥」と大きく刻字された手水鉢がある。
豊臣秀吉公が大阪城築城にあたり瀬戸内から大量の石材を調達
した。
運搬時に誤って郡家浦沖に水没したものを、氏子が引き揚げ手
水鉢として奉納した。「嘉永三年(一八五〇)…氏中」と刻ま
れ、回船で繁栄した往時の西浦(播磨灘側)を偲ばせる遺構 で
ある。